
Cannaではすべてのクライエントに安心してご来院していただく為に、必ず2つ以上の国家資格と㈶日本美容鍼灸マッサージ協会が発行する認定美容鍼灸師のライセンスを取得した鍼灸師のみが在籍しております。
大切なお顔やお身体を診させていただく以上、知識や経験もなく診るわけにいきません。
医療者として、かかりつけ鍼灸師として、責任もって担当させていただきます。
Cannaのこだわり①
その場で効果を実感。国際基準のハリウッド式美容鍼®
Cannaのこだわり②
全員が2つ以上の国家資格と美容認定資格を取得した施術者
Cannaのこだわり③
美容、医療の専門家として悩みの原因や解剖生理学的な観点からアプローチ
Cannaのこだわり④
業界トップクラスの症例実績と皮膚科医学会での論文発表実績
Cannaのこだわり⑤
福岡で唯一認定を受ける美容鍼灸専門院
Cannaのこだわり⑥
お顔だけでなく身体の不調、全身へのアプローチ
Cannaのこだわり⑦
美容鍼灸の効果を更に高める骨盤矯正やエステティックメニュー
代表 井上 公佑 Kosuke Inoue
井上公佑のプロフィール
大分県別府市出身。二児の父。通称 美容鍼灸王子® 民間療法、西式健康法、断食道場を生業とする両親のもとに生まれ、幼少期から医学や身体のことに興味をもつ。栄養学や食事療法、特に気功に興味を抱き中学生から中国武術、太極拳の錬武に励む。また、栄養学や人体のことをもっと深く学びたいと考え薬剤師、看護師を目指し学生時代を過ごす。
同時期に行っていた日本赤十字社のボランティア活動で高齢者医療や介護の現場を体験。その現場で、痛みや痺れに苦しむ患者を薬ではなく鍼灸のみで改善させていたことに衝撃を受ける。中国武術の師からの勧めもあり、高校を卒業と同時に東洋医学のエキスパート、鍼灸師を志す。

鍼灸師の免許取得後は医師と連携して、高齢者医療、終末期医療の現場に従事。福岡県内や佐賀県を往診で回る日々を送り、若干22歳で鍼灸院の院長に就任。脳梗塞後遺症やパーキンソン病などの難病症例を多く経験し、年間2,500件以上の施術を行う。多くの看取りも経験。
ただ、保険診療内でできることの壁や、西洋医学の治療方針に限界を感じ始める。自身のやりたかった治療、地域医療は本当にこの形だったのかという想いから24歳で独立。地域に根ざした統合医療を目指す。そんな中、難病による容姿の問題で外出を控える患者と出会う。自身の知識、技術では対応しきれなかったことに悔しさ、未熟さを感じ、同時期に知り得た(財)日本美容鍼灸マッサージ協会理事、上田隆勇氏にいちから技術、心得を学び直す為、師事。

同協会で習得した技術、上田式美容鍼灸®を難病患者に施したところ、容姿の問題が改善されただけではなく、体調の改善までもがみられ、外出頻度が著しく向上。上田式美容鍼灸®の再現性や施術効果の高さに改めて感銘を受ける。
以後もシワやたるみ等、お顔の症状に悩む多くの女性や、難病に苦しむ患者を中心に施術を行い、地域の医師とも連携しつつ、地域医療に貢献。幼少期より学んでいた、食事療法や民間療法も交え、鍼灸を中心とした地域統合医療を目標に施術に励む。安全に受けられる美容鍼灸、適切な食事やライフスタイルなどへのアドバイスが口コミを呼び、遠くはオーストラリア等海外、県外からも施術を受けに来る患者も多い。

その活動実績が評価され、同協会代表理事 上田隆勇氏より九州地区の支部長に任命。各地の美容鍼灸師への技術指導も任せられる。また、世界初となる㈶日本美容鍼灸マッサージ協会 初代認定講師にも抜擢。
現在は施術の傍ら、専門学校での講演活動、後進の専門家育成・指導、地域での健康講座や講演活動にもあたっている。その指導範囲は鍼灸師だけにとどまらず、医師や歯科医師、エステティシャンにも安全で効果の高い徒手療法を指導するまでにも成長。九州全土の美容鍼灸師を牽引する存在として活躍する。
安全性や施術効果の高さを提供する反響から雑誌特集、テレビ出演も多く重ね、自他ともに認める九州、福岡No1の美容鍼灸師として日々診療にあたっている。

安全性や施術効果の高さを提供する反響から雑誌特集、テレビ出演も多く重ね、自他ともに認める九州No1の美容鍼灸師として日々診療にあたっている。
井上公佑からのメッセージ
「美容鍼灸師が贈る あなたの10年前が甦る素敵な体験」 「最近なんか老けた気がする…そういえば疲れもとれにくい…」
そんな方にお勧めしたいのがCannaの上田式美容鍼灸®です。 上田式美容鍼灸®では、化粧品が届かない真皮層や筋肉層までダイレクトに働きかけ、コラーゲンの活性化を促します。また、同時にお身体の不調や自律神経を整えることで「調子の良い状態」を維持していきます。 高級化粧品を使っているけどいまいち効果がなくなってきたと感じるのは身体に問題があるからかもしれません。なぜなら、あなたのクマの悩みや、ニキビの悩み、ほうれい線などのタルミ、実は体の不調が原因で、お顔だけの手入れだけでは改善しないことが非常に多いからです。
お顔も、心も体も同時に治療することで、あなたの10年前が甦ります。もちろん見た目だけではなく、身体の調子も整えていくことで気持ちの面でも若返りを感じられる方が多くいらっしゃいます。 お肌に自信がつけば、笑顔が増える。 笑顔が増えれば周囲が変わる。 容姿が変わる、家族がHappyになる。 そして日本が元気になります。 他では受けられない特別な体験をぜひご体感ください。
お肌に自信がつけば、笑顔が増える。 笑顔が増えれば周囲が変わる。 容姿が変わる、家族がHappyになる。 そして日本が元気になります。
講演実績
福岡医療専門学校 特別講義
沖縄統合医療学院 美容鍼技術講師
国立障害者支援センター 美容鍼灸特別講義
福岡美神フェス リフトアップ講義
JFACe公認 認定美容鍼灸師養成講座
医師/薬剤師/鍼灸師の為の鍼灸講義
第1回/第2回国際美容鍼灸学会 最優秀賞受賞
他多数
木下 洋輔 yousuke kinoshita
木下 洋輔のプロフィール
福岡県八女市出身。幼少期から探究心が強く、考える前に身体が動くような性格であった。学生時代も様々なスポーツや知識を得て、多くの経験を過ごす。
高校生となり、進路を考えた際に漠然と人に喜ばれる仕事、医療に関わる仕事がしたいという強い気持ちに駆られる。多種多様な医療職を調べる中で、患者さんと実際に交流が取れ、マンツーマンで接することができるリハビリ領域に興味を持つ。その過程で特にスポーツトレーナーや怪我の治療の専門家である柔道整復師の存在を知り、福岡市の柔道整復師養成学校に進学。
学生時代は3つのアルバイトを掛け持ちしながら勉学に励み、同時に治療院での修行を開始。学生の間から技術や臨床経験を積むことを怠らなかった。睡眠時間を削りながらも3年間を過ごし、無事に卒業、そして柔道整復師の国家資格を取得する。資格取得後は更なる修行の為に東京のスポーツ治療が盛んな治療院へ就職。スポーツトレーナーとして働く中で鍼治療の即効性や治療効果を目の当たりにし、自身の成長のためにも働きながら鍼灸養成学校にも入学。
鍼灸学の勉強を進めるに連れ、治療効果だけでなく、その多様性、何よりも東洋医学の奥深さ、伝統医学の素晴らしさに惚れ込んでいく。無事に鍼灸師免許を取得後は、医療者として、1人の人間として何ができるのかを試す為に単身ドイツに渡る。ピラティスやリンパドレナージュといった、ヨーロッパのリハビリや医療を学びながら、現地の人々を治療して生計を立てる日々を過ごした。現地の知り合いもいない、言葉も分からない土地での生活で何事にも感謝をする心を持てるようになれた事がヨーロッパ生活での1番の成長だった。
帰国後も、より多くの治療法を学ぶために不妊治療、産前産後ケア、精神疾患、脳梗塞の後遺症といった専門治療院に従事していた。その専門治療をする過程で、メディアや流行もあり顔の鍼、美容鍼を求められる機会が多くなっていた。中でも、脳梗塞後遺症により顔の半分が麻痺により動かなくなった女性患者に美容鍼を行った際、これまでリハビリなどにも意欲が出なかった患者がみるみる元気になり、笑顔が増えるという機会に遭遇する。患者からも、感謝の言葉を告げられ、女性や難病の方を健康にすることだけではなく、容姿も美しくすることの大事さとそのパワーを知る。
この時まだ美容に関する知識は浅く、自身もそこまで関心が高くはなかったが、顔や皮膚に鍼を施すことで起こる肌の変化や、リフトアップをとても喜んで頂く事に嬉しさを感じ、美容領域、皮膚科領域にも興味を示すようになっていた。最初は、男性である自分が美容鍼をやるという事に無意識的に壁を作っていたが、多くの患者に更に喜んで貰える為に美容鍼灸師という道を歩むことを決める。単なる美容ではなく、心も健やかさも含めて美しくしていくことができる「健美」を実現するために東京から帰福し、福岡美容鍼灸院Cannaに所属。
腰痛や肩こりといった整形外科領域の治療だけでなく、婦人科領域、ストレスや自律神経の悩みも同時に解消させる治療を提供。そしてスキンケアをはじめとした美容の知識を蓄え、食事、睡眠といった、健やかな身体の元にある美を追求し、明るい未来を患者に提供していきたいと自己研鑽を重ねている。
長田 真貴 maki osada
長田 真貴のプロフィール
福岡県北九州市出身。自身が小学生の時期に流行ったカリスマ美容師、カリスマネイルアーティスト、カリスマ販売員という職種に興味を抱く。
数多くのメディアに出ていた影響から「カリスマ」という言葉に憧れ、漠然と美容関係の仕事をしたいと思うようになる。
高校卒業後は偶然の出会いから念願のエステ業界に足を踏み入れる。しかし、就職とは異なり個人事業主形態で化粧品を販売するという形式であった。美容知識や簡単な経営は学べ、提供出来る環境はあったものの、社会経験の少なさ、自身の甘さから軌道に乗らず数年で辞めてしまう。
実際にエステ業界を経験しはしたものの、自身がやりたかった「美容の仕事」と現実は異なることを知り、全く異なる職業に就職。また、社会人としての経験を積み直すために、一般事務やコールセンター、アパレルやウエイトレス、オイルマッサージ、歯科助手などダブルワークをしながら様々な仕事を経験する。
さらに、当時話題であったアメリカドラマ、SEX AND THE CITYの影響で海外に憧れを抱く。思い立ったら行動という信念のもと、カナダのトロントに3ヶ月間留学を決意。10年以上に渡って様々な仕事、留学などやりたいと思った事はすべて経験したものの、どれも中途半端で終わり、心の底から本気になれることは無かった。ただ、エステティシャンとして活動していた時に感じた誠意を込めてお手入れをする仕事、お客様様が美しくなる喜び、そして何よりも「ありがとう」と言って貰えていた事がこれまでの人生で最も生きがいを感じていたことに気づく。
28歳となった時、自分の天命や存在意義について答えが出ずに明け暮れていた。高校の同級生が25歳でピラティスインストラクターとして自分のスタジオを構えていた。同じ年齢なのにも関わらず、経営者として活躍している彼女の姿はとても輝いて見え、自身もまた漠然とピラティスやヨガの講師を勉強しようと考える。しかし、当時親交のあった経営者に相談したところ、ヨガやピラティス業界の厳しさを聞かされ挑戦を前に挫折。そこで偶然、鍼灸師という職業を目指すアドバイスを得る。
これまでは興味関心で行動してきた人生だったが、健康と美容の両方を診ることができる医療系国家資格、鍼灸師という存在にこれまでにない衝撃を感じた。これまで鍼灸という世界を全く知らず、鍼灸治療すら受けた事もなかったが、この時の衝撃により翌年には鍼灸師養成学校に入学を果たす。美容鍼灸を仕事にしたい想いで鍼灸師を目指したものの、その想いはどんどん変化していった。
慢性的な肩こり、腰痛だけでなく、婦人科や胃腸科といった内科系疾患、難治性症状にも鍼灸治療で対応出来る事を知り、鍼灸治療の可能性を大きく感じた。身体の不調で困っている人を助けたいという気持ちが大きくなっていった。そして在学中に受けた美容鍼灸の勉強会で初めて福岡美容鍼灸サロンCanna院長の井上と出会う。学生の身分でセミナーに参加するのは金銭的な面、内容の理解度で躊躇したものの、自身の直感を信じて参加。
美容鍼灸を学んだ3日間は今後の鍼灸師人生を左右するほど記憶に残るターニングポイントとなる。無事に国家資格の合格を果たし、鍼灸師の進路を考える際に同院長井上の技術力と知識の深さ、人柄を慕って福岡美容鍼灸サロンCannaに就職を決める。1人の鍼灸師として、美容鍼灸師として、患者の美容と健康を支える治療家として臨床に励む。
これまでの社会経験、その行動から養われた人柄から多くの患者に支持されCannaでも1、2を争う人気の鍼灸師として日々活躍している。
小川 明子 Akiko Ogawa
小川 明子のプロフィール
福岡県福岡市出身。天真爛漫な幼少期を過ごし、高いところも平気で登るような男の子じみた性格であった。ただ、そんな落ち着きのない性格を受け入れ、叱ることもなく見守り、理解してくれた両親には今でも感謝しきれないでいる。幼少期からイラストを描くことが好きで、暇さえあればイラストを描き、同じ被写体でも書き手によって全く変わる多様性に関心を深めていた。小学校6年生の時に親の転勤で福岡市東区から西区へ引っ越し、中学校では長身を生かすためにバレー部に入部。しかし、周りの成長に危機感を感じてしまい、1年で退部。退部後は当時好きだった漫画(闇の末裔)の影響を受け弓道を校外で習い始め、練習に明け暮れた。
高校はイチゴジャム製作に嵌り、糸島農業高校に進学。ここでイチゴジャム製作を極めるもそれ以外にやりたいことが見つからず、将来のために資格取得に励む。ボイラー、漢検、PC検定、食品化学等ありとあらゆる資格を取得。3年生となり、職業を調べていた過程で目についたのが柔道整復師であった。自分の腕だけで治療ができるというところに魅力を感じ、技術さえあれば、たとえ異国に行っても生きていけるという考えで進路を決定する。だが、進路を進める過程で鍼灸師の存在に目が留まる。東洋医学の体や病気をパーツで捉えるのではなく、全体で一つだという考え方に激しく共感。家族の体調管理もできる存在になれるという夢を抱き、鍼灸科を選択。福岡医健専門学校鍼灸科に入学する。
午前はアルバイト、午後は授業、夜は復習予習という勤勉さを発揮して3年間を過ごし、無事に卒業、国家試験合格を果たす。両親に学費を出してもらっての進学だったため、絶対に留年できない覚悟で臨んだ学生生活だったが結果として実りある3年間を過ごすことができた。鍼灸師となってからは鍼灸整骨院に勤務。しかし臨床の壁にぶつかり、思うような仕事ができずにストレスを溜める日々を過ごす。ストレスから生理は止まり、皮膚は荒れ、ニキビにも悩むようになった。皮膚科や婦人科、泌尿器科などを毎日受診する日々が続き、最終的には急性肝炎を患い入院。
そんな状況もあり最初の職場は1年で退社。半年間、養生に努める。ストレスのトラウマから鍼灸業種ではなく、飲食業に従事。当時はコミュニケーション能力が不足している感覚があり、それを補いたかった。しかし、鍼灸への魅力は忘れられず程なくして新たな鍼灸整骨院で就職を果たす。6年間の勤務の中で患者さんにも恵まれて手技やテーピング、姿勢矯正なども学び治療家として大きく成長する。が、鍼の技術をより深く学びたいというジレンマも同時に抱えていた。
最初に就職したところは鍼の技術を学ぶには最適な場所だったにも関わらず、器がなく学ぶことができなかった自分を恥じた。更なる成長を目指すために治療に力を入れている美容皮膚科クリニックに転勤。鍼灸治療、美容鍼灸、美容部員の業務に従事する。順調に業務をこなしていたが妊娠・出産を機に退社。後ろ髪をひかれたが子育てに専念する。出産も一段落し、職探しをしている過程で福岡美容鍼灸サロンCannaに出会う。
すぐには育児の関係で申し込めなかったがなぜかその存在を忘れることはできなかった。当時は院長のプロフィールを見て美容鍼灸王子などの経歴に驚愕したが、治療家としての真摯な姿勢、表面的な美容ではなく、健康という本質にアプローチする方針に共感するところが多かった。私のようにメンタルが落ち込んで何もやる気が起きない、そのせいで何かを諦めている人をサポートしたい。
そんな気持ちが強かった。美容面もだが、身体の不調を治したい。美しさを作るには健康が必要。元気な人はキレイであり、それが魅力につながる。皮膚や容姿は変えられる可能性をもっている。これまで、どんな時でも信じて優しく見守ってくれた両親のように、悩んでいる多くの女性患者の支えとなるために母として、鍼灸師として、美容鍼灸師として日々施術にあたっている。
和田 紋子 ayako wada
和田紋子のプロフィール
神奈川県川崎市出身。3児の母もこなす母性溢れるセラピスト。 10歳までを神奈川県で過ごし、福岡に移住。もともと病弱な身体であったのが影響し、博多弁や新しい生活に馴染めず不登校となるも持ち前の根性で学生時代を乗り越える。当時人気を博していた安室奈美恵に憧れ、メイクやネイルを独自に習得。友人にメイクを施すなど、美容力を発揮する学生時代を過ごす。高校を卒業と同時に美容の専門家、エステティシャンの道へと進む。
若くして多くの施術を担当、さらに技術を磨き、指名No.1のエステティシャンへと成長。しかし、エステ業界の負の一面、理想と現実のギャップに苛まれ、エステの道を諦め 20歳で結婚。専業主婦となる。2人の子宝にも恵まれるもシングルマザーに転身。朝から晩まで働きながらも、育児は絶対に手を抜かないことを信条に華の20代を駆け抜ける。
そんな折、運命の出会いを感じ、再婚。3人目の命を授かる。しかし、家庭の事情で再婚後も大黒柱を担い、仕事と育児に奔走。過労がたたり、入退院を繰り返す日々を送るも、それでも育児と仕事には手を抜かない信条は貫き通す。
しかし、30代となり、ふと人生の孤独感を感じ精神的に追い込まれる。また、過労も限界を迎え遂に仕事を休業。当時、持病やニキビ、蕁麻疹、貧血、胃痛、腰痛、頭痛、神経痛を薬でごまかしながら生きてきた為、誰に会っても心配されるような状態であった。
医師からも長期入院を勧められ、心が折れそうになった折り、知人の紹介でサロン代表井上と出会い生まれて初めて美容鍼灸を受ける。脈を診るだけで身体の不調を指摘され、身体に鍼をすると身体が軽くなる。今まで、薬漬けの生活を送り、西洋医学の治療しかしてこなかった為、東洋医学、鍼灸治療はまさに未知の体験であった。
なにより、くすみやシワ、たるみを一度で消した美容鍼灸というものに、エステ以上に心を惹かれた。身体と顔、心を同時に診る上田式美容鍼灸®、医学知識、東洋医学に基づいたフェイシャルケアなどを学びたく、弟子入り。 一度は諦めた美容の道へと復帰を果たす。
その後は、西洋医学、東洋医学に基づいた美容知識や、解剖学、生理学をいちから学びなおし、美容だけでない、身体も診る美容整体師として活躍。また、小顔になる技術だけでなく、自身の女性として、母としての経験談を交えながらのカウンセリングも好評を呼び人気を博していく。
女性を美しくする過程で、身体の内面と外面の関わりを強く感じ、美容への1番の近道は「心の笑顔」であると確信を持つ。「美の形は人それぞれ違い、心の笑顔なしでは本当の美につながらない」を新たな信条に、福岡の地で3児の育児をしながらも、多くの女性の美をサポートする活動に励む。